【生前】アントニオ猪木の参議院議員としての政治活動功績内容を深掘り!【ザ!世界仰天ニュース】

選手

今年2022年10月1日に生涯を閉じられたアントニオ猪木さんは、プロレスラーとしても、政治家としても、多くの功績を遺したことでとても有名ですよね。

『元気ですかー!』

知らない人はいないのではないでしょうか。

あのアントニオ猪木さんがお亡くなりになるなんて、、、

かなりの衝撃を受けた方も多いのではないかと思います。

しかしアントニオ猪木さんは、病気になっても最後まで、人生に情熱を注がれていたそうです。

12月6日(火)21:00から放送の『ザ!世界仰天ニュース』では、アントニオ猪木さんのその情熱の源はなんだったのか、素顔が明らかになるようです。

そこで今回は、そんなアントニオ猪木さんのお元気だったころ、政治家として活躍されていたときの功績をまとめてみたいと思います。

アントニオ猪木さんが私たち国民に残してくれたもの、気になる方はぜひ最後までご覧ください。

プロフィールも最後に載せておきます。

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参議院議員・アントニオ猪木さんの活動功績内容

参議院議員を二期務められたアントニオ猪木さんですが、政界ではなんと『プロレスラー議員』と呼ばれていたようです。

ちなみに、プロレスラー議員はアントニオ猪木さんを皮切りに、馳浩元衆議院議員、大仁田厚元参議院議員、神取忍元参議院議員が知られています。

特にアントニオ猪木さんは破天荒なことでも知られており、❝スポーツ平和党❞としての活動北朝鮮とのパイプなど「スポーツ交流を通じて世界平和を」という独自の政治理念を掲げていました。

では早速、どんな活動をされてきたのか、見ていきたいと思います。

1989年 参議院議員に初当選

第15回参議院議員通常選挙で、❝スポーツ平和党❞約100万票を集め1議席獲得し、参議院議員に初当選を果たしました。

今となっては当たり前となった消費税ですが、当時は消費税導入が世論の関心の中心だったため、選挙活動では「国会に卍固め」「消費税に延髄斬り」といったフレーズも注目を浴びたようです。

アントニオ猪木さんは、プロレス界だけでなく、政治業界でも、パフォーマンス力の高さを発揮していたようですね。

イラク人質解放

湾岸危機において、イラク在留日本人が人質となったなか、急遽「スポーツと平和の祭典」をイラクで開催すると発表しました。

政府の大反対を押し切り、長州力や馳浩によるイベントを成功させ、なんと在留日本人の解放につながった快挙を成し遂げたそうです。

その後任期後半には、スポーツ平和党の内部分裂などの問題があり、1995年第17回参議院議員通常選挙で落選し、いったん政治活動から退きました。

2013年 参議院議員に二期目の当選

今度は❝スポーツ平和党❞ではなく、❝日本維新の会❞として出馬し、第23回参議院議員通常選挙に35万6606票を獲得して二期目の当選を果たしました。

国会議員に就任した後は渡航禁止勧告がでている北朝鮮に行かれなくなるため、兼ねてから北朝鮮とのつながりが多かったアントニオ猪木さんは、「当選した後、就任する前」というわずかな期間を使って北朝鮮に渡航しました。

この行動に反対もかなりあったようですが、そもそも国会開会中の海外渡航には国会の許可が必要なところ、「書類の不備」を理由に許可が出ていない中で出発してしまったことも、注目を浴びた理由の一つのようですね。

しかし、このアントニオ猪木さんの行動があったあからこそ、北朝鮮との関係を保つことが出来ていたという功績も残しています。

言うだけでは簡単ですが、実際に行動に移して日本にとっていい結果をもたらすことで、国民からより信頼を得て、だからこそ亡くなった今もなお、皆から愛される存在なのではないでしょうか。

一方で、渡航不許可での北朝鮮訪問だったため、否定的意見も多く、「登院停止30日」の懲罰を受けたのも事実のようです。

そして、日本維新の会が当時分裂する中、次世代の党、日本を元気にする会、ミニ政党を渡り歩いた後、2019年の第25回参議院議員通常選挙には不出馬となったとのことです。

また、国会の質問で、お決まりの「元気ですかー!」を叫んでいたことに対し、「元気が出るだけでなく心臓に悪い方もいる」と指摘もあったようですが、そんなところもアントニオ猪木さんらしくて、私は素敵だと思います。

プロレスラー・アントニオ猪木さんのプロフィール

  • 【名前】アントニオ猪木(あんとにおいのき)
  • 【本名】猪木 寛至(いのきかんじ)
  • 【生年月日】1943年2月20日
  • 【出身地】神奈川県横浜市
  • 【職業】プロレスラー、政治家、事業家
  • 【身長】190㎝ー191㎝
  • 【体重】102㎏ー110㎏
  • 【血液型】AB型

アントニオ猪木さんは、プロレスラーをしていたこともあり、運動神経が良いという印象ですが、幼少時代は運動神経が鈍く、友達からは「ドン寛(鈍感)」「運痴の寛ちゃん」などと呼ばれるほどだったそうです。

驚きですよね。

しかしブラジルへ移住後は陸上競技選手として現地の大会に出場し、砲丸投げで優勝するなど、身体能力を開花させています。

そこからプロレスラーとして大活躍するスーパースターとなりました。

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まとめ

以上、アントニオ猪木さんの政治活動の功績についてまとめてみました。

  • プロレスラーとして初めての政治家
  • ❝スポーツ平和党❞が約100万票を集め、参議院議員初当選
  • 独自のやり方で、イラクの在留日本人の解放に成功
  • ❝日本維新の会❞として参議院議員に二期目の当選
  • 少し強行なやり方ではあったものの、北朝鮮との関係を良好に保った

2022年はアントニオ猪木さんとのお別れの年となってしまいましたが、プロレスラーとしても、政治家としても、大きな功績を残されたことは、きっと日本国民みんなの中で残っていくのではないでしょうか。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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